前回、僕の体調は回復しだし、ダーツバーの仲間と楽しく過ごし出すと同時に薬を飲むことをやめ、東大病院から正式に「双極性障害1型」ですと改めて診断確定されたところまで書きました。
そうそう、僕の体調はだいぶ良くなってきていたんですよね。
そして、ダーツバーに居場所を見つけ、楽しく過ごせるようになって来ていたのです。
この頃、そろそろ頭に浮かぶのが「仕事」です。
いやー・・・やっとこさ、この段階まできたかって感じですね。
僕は、生活に余裕を持って楽しめるようになる段階の次に、仕事を探し出すという段階があるように思えます。
考えないように逃げていたものと少しづつ向き合うようになって来た、北海道から帰ってきてから約4ヶ月たった頃でした。
ところで、みなさん、
クローズ(病気のことを先方に秘密にして行うこと)で臨むか、オープン(病気のことを先方に伝えて行うこと)で臨むか。
これは、精神障害者の永遠のテーマだと思います。
クローズなら健常者と変わらない仕事を任せてもらえるし給料もいい。でも、仕事内容や勤務日数も健常者と同じで、具合が悪くなる僕たちにはハードだったりもする。そして何より、病気を隠さないといけない。悪いことをしたわけではないのにありのままの自分を出せずに隠し続けなければならないことがあるのはとても辛いし疲れます。
一方オープンならば、病気であることを告げた上での雇用なので、隠し事をせずに済むし、体調にも配慮してもらえます。しかし、給料は低く、職務内容も限られて来ます。ところによっては差別もある可能性はゼロではない。
それぞれ特徴があり、メリット・デメリットが存在するんですね。
僕はというと、当時もう自分が病気であることに対して拒絶反応が出ていたので、クローズ一択!!でした。
でも、前職でけちょんけちょんに「お前は仕事ができないやつだ」と刷り込まれているので、正社員でバリバリ働ける自信はありませんでした。
そんな状態で、どうなっていったのか。
そして、どうやって精神病の薬を受け入れるようになったのか。
「精神病の薬を受け入れるまで」シリーズもついに第4回目、最終回をお届けします。
好きなことを仕事にしたい、でも、何をしようかな。
僕はもう、元気でした。
普通の人と何も変わらない状態。君は本当に鬱だったの?という状態まできていたと思います。
些細なことで笑えるようにもなっていたし、ご飯も美味しかった。
10キロ痩せた分が、もりもりと元どおりになりつつありました(良いことなのかは別として・・・)。
一部の人ではあるけれど、学生時代の友達とも楽しく会っていました。
新しくダーツバーでの仲間もできました。
それは、病んで北海道から帰ってきて、千葉で暮らしていた時に比べて、はるかに幸せでした。
よかった。本当によかった。
・・・。
そう、よかった・・・んですけれど、心の中はたくさんの靄がかかっているのです。
正確に言えば、今まで気に止める余裕もなかった靄の存在に、ようやく気づく段階まできたという感じでしょうか。
そんな靄はたくさんいろんな種類がありました。
でも、その靄の中で一際大きく、存在感を放っているものは、「僕は今働いていない」ということからきているものであることは明白でした。
こんな時に、思い出してしまう、ほんとうに大嫌いだった前職の育成担当者が初めて会った時の一番始めのミーティングで一番始めに話していた言葉がありました。
「なんで仕事をするのかわかってる?じゃあ朝目が覚めてまず何をする?顔を洗ったりするでしょ。それから歯を磨いて、朝ごはんを食べて、電車に乗って会社に来る。たったここまででどれだけたくさんの人のお世話になっているかわかるか?水道管をひく、水を綺麗にする、歯ブラシや歯磨き粉を作る、パンを作る、電車を動かす・・・もう数えきれないわけ。自分たちはそんなたくさんの人のおかげで生活できているんだから自分ももらってる分返さないといけないのはわかるよね?俺の友達だったやつにもニートはいるけど、そいつは与えてもらってばっかなわけで、それはクソだと思うんだよね。」
これを出社初日の朝、小部屋に連れて行かれて、二人きりで言われました。
・・・正論ですね。嫌いすぎて逆に覚えてしまっています。
「ニートはクソ。」
この言葉は、入社初日の僕にとって育成担当者が話していた時にはそこまで心に刺さる言葉ではありませんでした。
それは、「自分には生涯関係ないことだ。」と思っていたからだと思います。
今も巷では、テレビの中でも、インターネットの中でも、ニートは悪だというニュースや発言がビュンビュン飛び交っています。
ニートの人を下に見ている人は世の中にたくさんいると思います、というか大体がそうなんじゃないでしょうか。
「ニートは怠け者。」
「働かざるもの食うべからず。」
「つべこべ言わず、いいから働けよ。」
そんな言葉が聞こえてくるように思えます。
もう社会全体で、ニートは悪なのかもしれませんね。
そもそも、ニートの定義は「No Education, Employment, and Training」ですので「教育、仕事、訓練のどれもしていない人」ってことです。
その3つをしていなければニートなら、その時の僕はニートです。
生涯無縁だと思っていたニートに、僕はなっていたのです。
確かにニートって聞くと、嫌悪感を感じるのが一般的だと思います。
でも、僕は、働いていない人の中には、働ける状態にない人がいることを軽視してはいけないと思っています。
そしてその働けない人のなかには、メンタル(というか脳)がやられているという目ではわかりにくい人たちがいるのです。
ここからは精神障害者当事者特有なのかもしれない僕の偏見が混ざっているかもしれませんので、気分を悪くする人がいたらすみまません。
何か重い病気や、身体障害など検査に数字で表れたり、目に見えやすいもので働けていない人に対しては、仕方がない感がでて、むしろかわいそうだからゆっくりしてね、とかいうことになってくる。
でも、精神病で働けていないとなると、精神病になる自分も悪いんじゃないの?とか甘えてないでしっかりしろよ!とか、下に見られて責められることも全然あると思うんですよね。
そして、これはさらに完全なる僕の経験則であり偏見ですが、飲食だか、ベンチャー企業だかの「自分ら厳しい世界でも生き残ってきてます系の人」はそうなりがちだと思いますね笑
「自分なんて怒鳴られない日はなかったけど、何クソって思って頑張って努力してできるようになったから今の自分がある。」「毎日終電超えるのは当たり前で睡眠時間なんて二、三時間の状況でやってきた。」「手が出るのなんて当たり前だったし、当たり前だからなんとも思わなかった。」「本当に気持ちがあればできる。心が折れるやつには気持ちがない。覚悟がない。」
みたいなね笑
社会に対して頑張って働いてもらっているのはありがたいし、こちらに押し付けてこなければどんな考えしていてもいいけれど、これまで僕が出会ってきたそういう人たちはいざ僕みたい人たちと対峙するといろいろ言いたくなるみたいです笑
というか露骨に、働いていないことを知ると態度が変わったりする人もいましたね笑
はて、こちらの背景、事情などをそんなに話していないのに、何がわかるんでしょうか。
そういう優位に立っている自分が好きなんでしょうか。それはよかったですね。
まぁみなさん大丈夫です、大体過度に働いていない(働けていない)人に対してつべこべ言う人たちは、女性関係がふしだらで、僕らより多くの人を傷つけていますから!!クソですから!!笑
(勝手なイメージで決めつけている点で完全にどっちもどっちである)
・・・。
関係のない大多数の方々、本当にごめんなさい笑
でもこんなことも言いたくなる現実なんですよねぇ笑
我々の中にはそんな愚痴も言いたくなる方々も多いんじゃないでしょうか笑
病んでいる時はもちろん苦しいし、回復してきた時も周りの目が苦しいわけなんですね。
話を戻しますが、僕は周りの目という点でも、さらに自分自身と言う点でも、自分が働いていないことに対する大きな負い目を感じていました。
先ほどの言葉は、大嫌いな育成担当者の言葉ではありましたが、働くべきというそこだけはなんだかんだいって「確かにな・・・」と同意をする部分も多かったからです。
あと単純に、社会で働きたいなって思ったんですよね。
社会の一員になりたいと言いますか、働くことで得られる心の充足感と言いますか、一体感、達成感は喜びだと思います。
所属意識も心の安定につながります。
みんなが働いていて、自分もみんなと同じように働いている、みんなと同じだと言う安心感と言いますか。
つくづく日本人的ですよね笑
そんなこんなで、いざ働くとした時、病気についてはクローズでいくって決めていました。
もうその時は、オープンになるための条件や、オープンの良さなんて何も調べずに、盲目にクローズ一択でしたね。
だって僕は普通の人ですから・・・と信じていたのですから。
でもクローズで働くと決めていたとはいえ、前職ではボコスカにされて自分のことを仕事ができない使えない人間だと思う気持ちが脳裏に植え付けられていました。
そんな仕事が存在するのか・・・?
僕はこの時25歳、一遍社会に出たもののすぐに引っ込んで、経験も知識も情報も未熟な状態です。
世の中にはどんな仕事が、どんな人たちが、どんな世界があるのかについては、今でもわからないのにそれ以上にわかっていませんでした。
でも、不安を感じながらも、ひっそりと希望を抱こうとしていました。
まず僕は自分に出来ることは何かを整理することからはじめました。
僕は人と話すことが好き。
でも複雑な交渉とかはできる自信がないし、書類作りにも自信がない。
「営業というよりは販売なのかなぁ。」安易ですがそんな感じがしていました。
あと他に好きなこと何か考えたら・・・お酒でした笑
精神病の人はお酒はやめなさいっていう医者やらなんやらもいますが、ごめんなさい。断固、僕は飲みます笑
他の精神障害についてはわかりませんが、双極性障害の僕は飲みます。
物議を醸すかもしれませんが、まぁこの件については、別の時に語りますね笑
とにかく、人と話すこととお酒が好きで、何か知識とかもつけられるものないかなーと探していました。
そう思っていた時に、たまたま見つけたのが、ワイン屋さんの仕事でした。
それがなんと僕の家から5分のところにあるお店でした。
そして、正社員ではなく準社員、つまりアルバイトでの採用でした。
正社員ではないけれど病み上がりの僕にはむしろそっちの方がちょうどいいんじゃないか、と思いました。
さらによく求人情報を見てみると、社員登用ありと書いてあったのです。
応募してみることにしました。
少し、ほんの少し、差し込む光に兆しが見えたような気持ちになりました。
2つ目の職場、ワイン屋さん。
ワイン屋さんに応募した僕。
お酒が好きだという思いで応募したわけですが。
当時の僕はビールが一番好きで、ワインは正直ほぼ飲んだことがありませんでした笑
むしろ、その時は一番有名なブドウ品種のカベルネソーヴィニョンすら知らなかったと思います笑
でもワインはお酒の中で、ある意味ジャンルにもなっているほどのものだし、種類も多くて、お酒の中で一番奥深いのかも!と思ったらその世界に足を踏み入れたい気持ちが高くなりました。
・・・ズバリなんとなくのイメージで足を踏み入れたくなってますね笑
きっかけなんてそんなもんだと思います笑
もし入れれば、入ってから勉強すればいいやと思っていましたね笑
さてね早速応募して、面接をすることに。
ひっさびさにスーツを来て、お店まで向かいました。
ネクタイを締めるのもずいぶん久しぶりで、締めかたすらよくわからなくなっていました笑
テクテク歩きながら、「新しく出会う人は僕の過去を知らない。わからない。大丈夫大丈夫。」自分で自分にそう言い聞かせました。
ブツブツブツブツ唱えながら歩いていたかもしれません・・・(恐怖)
お店に着くと、何百ものワインがズラーと並んでおり、胸にブドウのバッチをつけた店員さんが爽やかでにこやかに接客をしていました。
まさにスペシャリストっていう雰囲気でした。
「まつらです。面接で参りました。」と店員さんにつげると、その方は、あっ少々お待ちくださいね、と笑顔を見せてくれた後、事務所の奥へ入っていきました。
それからすぐに、事務所から店長さんが現れ、僕は事務所の中まで連れられて、店長さんと面接をすることになりました。
その時の店長さんは多くを語らない雰囲気で、表情もあまり変わりませんでした。
失礼かもしれませんが、無表情に近いものがあったと思います。
事務所は狭く、書類や取り置きのワインがビシッと整理して置いてありました。
何も言われてはいませんが、店長さんは「無駄な時間は勿体無いのでサクサク進めましょうか」というオーラを放ちながら、面接が開始されました。
面接が始まってすぐ、店長さんが僕の方に両手を差し伸べて来ました。
それは、ありがたい。
僕がにこやかに店長に対して手をスッと出すと、
店長「あっ、履歴書ください。」
死んだ^^
だいぶあわあわしました笑
今考えると我々が住んでいる国には面接時にウェルカム握手をする文化がありませんでした笑
僕はもう緊張のしすぎと、社会一般的な面接で行われる所作がさっぱりわからなくなっていて、完全に血迷ってしまいました。
しかしこれが功を奏したのか、
店長「君、面白いねぇ笑」
と笑ってもらうことができました。マジでよかった笑
店長に履歴書を渡すと、ザーッと見て、気にしてほしいところに注目してくれました。
店長「へー、学生時代わらび餅売っていたんだね。」
僕「そうなんです。リヤカーに乗せて引き売りをしていました。」
店長「へー、珍しいねぇ。」
・・・わらび餅に食いつきました!
そうなんです。
僕は大学生の時に巣鴨で、わらび餅をリヤカーに乗せて街で売りあるくという行商販売のアルバイトをしていたのです!
おばあちゃんの原宿、巣鴨でわらび餅のお兄さんだったんです。
この話が一番盛り上がったと思います。
どうやって売ってたの?
その時どう思ってたの?
ざっくばらんに質問が来ていました。
そして、その問いに対して、ありのままの自分を答えていきました。
わらび餅の話はとことん聞かれましたが、逆になんで1社目をやめたのかはあまり聞かれなかった気がします。
正社員を辞めてアルバイトを始めるってみんながみんな事情を持っているから、大人な配慮をしてくれていたのかなって思っています。
感謝!
そうして面接は終わりました。
終わって店から出て、しばらく歩いた後に、ふぅーーーっというため息が出ました。
久しぶりの緊張から解かれた瞬間でありました。
そして結果はどうあれ、久しぶりの充実感を得ていました。
それは、面接がうまくいったとかではなく、社会と繋がった感じがしたという感覚だったと思います。
結果が来るまではドキドキソワソワでした笑
一週間以内にご連絡します、と言われたのですがその一週間が長く長く感じました。
そして、ちょうど一週間くらいして・・・採用の電話をいただくことができました。
たかがアルバイトの採用と思われるかもしれません。
でも、この時の僕にとっては、学生時代に1社目から内定をもらった時くらいの喜びがありました。
「あ、採用ですか、ありがとうございます。はい、はい、では失礼いたします。」
・・・・・やった!
声を出さずにガッツポーズをしました。
後に聞いた話ですが、この時、5、6人の面接をしていて、その中から僕だけが選ばれたそうです。
やはり決め手は、わらび餅の話だったようです笑
わらび餅の社長に本当に感謝をしました。
さて、約半年ぶりの仕事復帰です。
そして、肝心のワインのことはさっぱりわからない笑
これから覚えることがたくさんなんだろうなとは思っていましたが、自然と不安はそんなにありませんでした。
ダーツバーに行って、職が決まったことを話すと
オーナー「おっ、まつらちゃんおめでとう!よかったねー。一杯サービスするよっ!」
という感じで、お祝いしてくれました。
僕はとても嬉しかったです。
自分に居場所もできて、仕事も決まった。
薬は以前と変わらず飲んでいない。でも、体調はいい感じだ。
僕の人生はこれから明るいんじゃないかな。
今まで少しつまづいたけれど、これからはうまくいく。
何も問題はない。
・・・そう思っていました。
ワイン屋さんでの生活と2度目の躁状態
ワイン屋さんに採用になり、仕事スタート。いきなりですが週5出勤する生活が始まりました。
そして、アルバイトとはいえ社会保障も完備で、シフト自体は社員の方と変わらずフルタイムで働くこととなりました。
僕は体調が良かった、というかむしろ体力を持て余していたということもあり、フルタイムでの仕事はあまり苦ではありませんでした。
それよりも、ワインについてです。
僕はカベルネソーヴィニョンもシャルドネも知らず、コルクを抜いたことすらなかった状態で、ワインの専門家であるべき地位に立つことになったのです。
・・・当然いきなりは無理です笑
僕よりお客さんの方が100倍ワインを知っていました。
そこで僕はワイン屋さんの先輩方に指導されていきました。
僕の育成担当者には、僕よりも年下の先輩がつくことになりました。
・・・育成担当者(涙)
もう僕は、育成担当とかそういう言葉を聞くだけで不安が走る身体になっていました。
でも、その方は年上の僕だけれどいい意味で気を使わず、厳しくも優しさがある感じで接してくれました。
「まつー、次会うときまでにこれを覚えて来て。」
毎回宿題を出してくれて、次会った時に、俺に説明してと時間を取ってくれたんです。
覚えて来ると、やるねぇと言われ、爪が甘いと、やり直しっと言われます。
僕は年下とかそういうことは一切気にしていませんでした。
ただただ、いい先輩だな、と思っていました。
と同時に、これが仕事の先輩なんだなと思いました。
初めの頃の僕の仕事は、ワインのほこりの取って、品出しをして、チラシを配る。
ひたすらそれをしていました。
そんな日々を過ごしながら、本当に少しずつだったかもしれませんがワインのことを勉強して、タイミングをみて接客をしてみます。
その相手がツワモノ(詳しい人)だったら先輩にパスをします笑
接客をする→わからない→先輩にパス→勉強する、このループを何回も何回も繰り返しました。
そしてついに、初めて僕が接客して売れたのは、チリのカベルネソーヴィニョンでした。
その時、育成担当の先輩に「やったじゃんっ。」って背中を叩かれました。
とても嬉しかったです。
そう思いました。
それと同時に、
僕は全然普通な人だな。
そんな気持ちも、無意識のうちに膨れ上がっていたように感じます。
僕は、もうその頃は薬の存在すら忘れてしまっていました。
頭の片隅からも追いやって消去していました。
この時の僕の生活はワイン屋さんで仕事をして、仕事終わりはダーツバーへ通うという日々でした。
そうそう、ワイン屋さんで働いてしばらくたって改めてわかったのですが。
・・・僕はあまり仕事ができる系の人ではありませんでした笑
どうやらなんだか動きが遅いそうです。僕は全力で動いているのに!笑
僕がセッセセッセワインを品出ししたり、ワインの棚を整理したりして、よくできたなって達成感を感じていると、まつら動きが遅いよって指摘されることが多くありました笑
自分では早いつもりでした笑(がーん)
きっと前職の育成担当者もそういうところにもイライラしたのかな・・・。
反省はするのですが、遅いものは遅いんですよね笑
でもワイン屋さんでは、僕のキャラクターを受け入れてもらうことができ、怒られることもありましたがなんだか怒るというより、愛情を持っていじられるっていう感じでした。
店長もなにか僕がやらかすごとに、僕のお腹をつねって来ました。
一見パワハラ?!という感じですが、僕にとってはそんなことはなく、むしろそのつねられた時にやってしまった辛い気持ちが和らぐと言いますか。
表現が難しいですが、愛情に溢れていたように思います。
そう、僕がヘマをしても、そのヘマをゆくゆくは笑いに変えてくれるような方々で溢れていました。
みんなが優しいと感じたし、受け入れてもらえているなという実感もあり、初めて働く楽しさを感じることができたように思います。
毎日毎日僕の動きが遅くていろいろヘマをしながらも、いじられて、せっせせっせとお仕事をし、仕事終わりはダーツバーでみんなとワイワイ楽しむ。
充実していました。
その頃僕は学生時代の友人の結婚式に参加して友人代表のスピーチをしたり、大学の時の友人と普通に遊んだりできるまでに回復していました。
というかもう、おかしくなる前の僕に戻っていました。
そんな生活が続き、ワイン屋さんに入ってから一年が経った頃、ダーツバーのお客さんだった同い年の女の子と付き合うことになりました。
北海道にいた時以来ですから、約2年ぶりの彼女です。
しかもその彼女とはすごい話があって、見た目も中身も好みでした。
これはこれは、嬉しかったですね。
仕事も順調、プライベートも順調、彼女もできた。
・・・・。
これは、前にも似たようなシチュエーションがありましたね汗
そうなんです。
躁なんです!!!笑
このシリーズの第2回目でご紹介した、前職で1回目の休職をして、復職をした後のフィーバータイムと同じ状態なんですね。
ズタボロになって、段々回復してきて、光が自分に向いてくる時、悲しいかな躁は訪れます。
歴史は・・・繰り返す笑
その時僕は彼女もできて、将来を考えるようになるわけです。
いつか、二人で暮らすようになるかもしれない。
そうしたら、今よりお金が必要だ。
結婚とかもしたら結婚式だってしたい。それにもお金が必要。
今は時給900円のアルバイトで、当時は26歳。
このままではまずいんじゃないか・・・!
こんな思いを強く抱き始めました。
その時の僕は、躁状態ピークすれすれで、良い面もありました。
それは面白いことが言えたり、頭の回転が早かったりすることです。
なんだかその傾向が出てくると、彼女ができたりするんですね・・・笑
さて、そこから今後の進路はどうしようか。悩み始めます。
真剣に悩み始めます。
そして僕は、
お笑い芸人になろう!!と言い出すのです笑
真剣に悩んだ結果がこうなりました笑
出ました!躁状態あるある!普段では行き着かないような突飛な方向に行って派手にやらかす!!笑
お笑い芸人さんをおかしいということではなく、今までお笑いなんてやったことがないにも関わらず、将来にお金が不安でどうしようかと考えている時にこの結論に至るのはおかしいということです。
これには理由がありました。
ダーツバーにいたお笑い芸人さんが毎日毎日いろんな人を笑いに包んでいて、生き生きしていて輝いて見えていたのです。
いろんな人に笑いを与えて、みんながそれによってその場が和む。
その笑いというものに僕自身もとても助けられてきました。
使命感を感じてしまっていました。
そして、お金に関してはショーレースで一攫千金をもらうぞ!
当時の僕は躁状態です。だから、それがどれだけ大変で、どれだけの積み上げや、どれだけの努力が必要なのかという部分が見えていないのです。
僕ならできる僕ならできる僕ならできる、そんな状態でした。
今となっては、ちょっと落ち着けってなりますが、真剣にこうなってしまうのが躁状態なんですね。
それからの僕は思い立ったら即行動、仕事先にも重い病気になったと言って臨時の長期休暇をもらいました。
店長も困惑し、心配していましたが、その時の僕には届きません。
この後先を冷静に考えられていない感じが躁ならではの発想ですよね苦笑
このねじり出した自由に動ける短期間にできることは全部やろう!!
僕は必死でした。
お笑いの事務所に訪問してみたり、コネを作ったほうがいいと思った人に高級ワインをプレゼントしたり、あっちに行ったり、こっちに行ったり・・・・。
東奔西走。
四字熟語でいうならばこの言葉でしょう。
活動しまくりました。
寝ることもせず活動していたと思います。
そして・・・躁が上がりきりました。
ここらへんで具体的に何をしたのかの詳細はまた今度、もし要望とかがあれば書こうかなと思います。
でも正直、自分でも何をしたのか、あんまり覚えていないのです。
ただ言えることはその時の1日が3日分くらいの活動量をしていたように思えます。
過活動だからこそ何が何だか分からなくなりましたね。
そして、思い出したくないことも多いので、記憶から消している可能性はあります。
そうして、色々駆け回った後、父親に捕獲され、あの熊みたいな先生のメンタルクリニックへ連れて行かれます。
診察室に入るまでも僕は多動、そして、イライラ。
待合室で順番を待っているのですが、頭の中にはもうありとあらゆる言葉が噴水のように溢れかえっています。
それは、頭に浮かぶもののスピードが口から言葉を発することができるスピードの2000倍くらいあるような感覚です。
何も考えようとしなくても、自然に思いつくのです。
わかりやすくいうと、例えば、僕たちがリンゴを見たとした。
普通の状態だと、赤いな、丸いな、果物だな・・・そんなことをパッと思いつくと思うんです。
しかしそれが、それが躁の時の僕だと、
赤い、青い、甘い、酸っぱい、タネがある、しゃりしゃりしている、丸い、木になる、青森県、果物、ニュートン、姫林檎、リンゴスター、にゃんごスター笑笑笑、りんご、リンゴ、林檎、RINGO、APPLE、リンゴといえば椎名林檎だけど椎名林檎が東京事変をやっていた時の透明人間とか群青日和とか遭難とか修羅場とかとてもカッコよかったし最高だったなー新宿はー豪雨ーあなたー何処へやらーとか言ってたけどあの歌詞が思い着くのは天才だと思うけどアインシュタインは天才とか言ってたが松本人志も言われてて松本人志のすべらない話が宮川大輔のお祭り男も楽しいけどやっぱお祭りと言ったらりんご飴だよねー確かりんご飴の味は随分と甘くて甘太郎での飲み会はあんまり好きじゃないから甘太郎での飲み会はやめてほしいけどでもどこがいいって考えると土間土間とかがいいのかなでも土間土間は前に藤原君といったんだけど藤原君は元気だと嬉しいな最近あっていないけど藤原君はキーボードを弾くわけだけど東京事変のキーボはヒイズミマサユ機から変わってしまったのが悲しくてやっぱり透明人間とか遭難とか修羅場とかすごくいい曲だなって思うから椎名林檎のリンゴスターポールマッカートニージョンレノンは銃で打たれたのがかわいそうだから僕は暴力は許さないしかわいそうなことをすることは絶対にいけないと思うんだよねだから世界はラブアンドピースを大切にしてそうすればきっと世界は救えるだから僕はお笑いをしたくて頑張って活動をしているわけだけど僕は今病院にいて診察を待っていて僕が悪いのかなでも僕は平和のために頑張っているだけなんだけどなんでこんな待たされなきゃいけないのか遅いおそいosoiオソイまだかまだかなぜまだか・・・・・・・・・。
みたいなるんですよ笑(ガチホラー)
僕はまさに The Sou! でした笑
思考がものすごいスピードでブンブン飛び交って、かつわけのわからない結びつき方をして、かつこれらがものすごい早さで頭に浮かぶんです。
上記した全文が、0.2秒くらいで脳内に浮かんできます。浮かび続けます。
ガチヤバモード笑
そんなに頭に浮かんだらそりゃ多弁になりますわな笑
僕は、待合室で少し待って診察室に入り、熊の少し先生と話したら(話すという表現で正しいのかはわかりません笑)、別の部屋で一人で待っていてと言われました。
「その部屋からは出ないでおいてくださいね」と告げられて。
もう果てし無くいろんなことを考えて、それはまさにマジ卍って感じだったんだと思います笑
そしてその部屋の中でずいぶんと待ったと思います。
なんかジュースとか飲んでいたような気がします。
すると、突然4、5人の男の人がバァーーーーーっと部屋に入ってきました。
まさにスワットの突入!!!って感じです笑
僕は訳も分からないまま取り押さえられ、そのまま護送車に乗せられます。
護送からの入院
護送車の中でもずーっと両腕は羽交い締めにされたまま。
羽交い締めにしている人たちに話しかけてもひたすら無視でした。
でも、表情から、こんなことをしてしまってごめんねと言っているような優しそうなお兄ちゃんだったのを覚えています。
僕は、やめろーとかはなせーとかを喚くことはなく、ひたすらに自分の気持ちをずーっと話し続けていた気がします。
これまでの辛かったことや、大変だったことや、苦しかったことなどマイナス面についてや、これからお笑いでやっていきたい、自分は人に助けられて復活できて、今度はみんなを助けたい、笑顔にしたい、彼女とは幸せな将来を築きたい、そんなことをずーっと大きめの声で独り言を言っていたと思います。
この語りはエンドレスでした。無限なのです。
前述したように躁状態で脳内が言葉で敷き詰められていて、次から次へと湧き出ます。
40分くらいでしょうか。
ずーっと喋っていると、車は止まりました。
そして、車から羽交い締めのまま降ろされ、到着するとそこは病院。
部屋に連れて行かれ、そこにはお医者さんが一人立っていて僕の様子を見ます。
15秒くらい観察して、そのお医者さんはGOサインを出します。
すると、違う部屋から待機していた8名ほどの看護師さんたちがバーっと出てきて、職人技の慣れた手つきで、僕を押さえつけ、ベットに寝かせ、洋服を着替えさせます。
そして、手足をバンドで拘束し、ジプレキサという強い薬の注射を打ち込みます。
この一連の流れはまさに神業笑
僕は何が起きたのか全然分からず、えっ?えっ?ってなっているうちに全てが終了。
入院する自分の部屋に運び込まれる前に薬は効き出し、エレベーターの中で僕は眠りにつきました。
躁状態で全然眠れていなかったからでしょうか、すごく長い時間寝ていたような感じがします。
寝ている間にいろんな夢を見ました。いや、正確にいうと見たような気がします。
そんな中でも明確に覚えているのは、当時の彼女が出てきて、ずっと一緒にいようねって言ってくれました。
僕は夢の中ですが、その言葉にとても安堵した心地がしました。
目が覚める時には僕自身もどれくらいの時間が経ったのかはわかりません。
気がつくと、精神科閉鎖病棟の重症患者が入れられる薄暗ーい部屋に一人。
もちろん手足とお腹はバンドで拘束されていて動けません。
尿道には管が入っており尿は自然と排泄され、便はオムツにします。
各部屋にカメラがついていてナースステーションから監視ができ、定期的に看護師さんが様子を見にきて変えてもらう感じですかね。
みなさん興味があると思いますが、この入院生活について語るともうひたすら長くなるので別の機会にします笑
一般的な人が経験しないような非日常体験ですからね笑
ここでもいろんなことがありましたが、まぁそんなこんなで約2ヶ月の入院生活を終えて、退院して外の世界へやってくることになります。
退院、そしてそれから
正直な話、退院した直後は躁状態なんです。
頭の中の躁状態は薬物治療もあり、収まっているのですが、考え方というものは躁状態そのままという感じですかね。
入院からの退院というのは激躁が治って、通院で対応できる程度に軽快したという意味合いです。
なので退院直後はまだ大きなこと言っていたりします。
しかし、大丈夫です。外の普通の人たちと触れていく中で冷静に自分の考え方がおかしいことに気づき、そして、ありとあらゆることをやらかしていることに気づき・・・
すぐ鬱になりますから笑(ドーーン)
ここで出ました!躁状態のあとのうつ状態!(第2回以来の登場)
これがとっても辛いのです。
自分がやったことだ、自業自得だ、という思いにも苦しめられました。
まぁ自分でやったこととはいえ、やはり、病気だったわけなんですけどね。
しかし、1回目の時ほど、苦しみは大きなものではなかった感じがします。
さて、薬についてですが、入院中に体調に合わせて処方されます。
入院時に注射で打たれたジプレキサというのは別名オランザピンともいいまして、躁を抑える抗精神病薬です。効き目がよく、よく用いられる薬ではありますが、太るという副作用があります。
あとは、僕が今も飲んでいるのですが、ロドピンという抗精神病薬も使って躁を落とすんです。
そして、双極性障害において薬の主役となってくる気分安定薬は、僕はリーマスを使いました。
リーマスは炭酸リチウムのことです。リチウム電池のリチウムなんですねー。
これが血中濃度0.4〜1.2の間の時に、気分を安定してくれるのです。ちなみに効果のメカニズムは現代医学でも不明です。なんで気分を安定するのかは、使ってみたらみんな安定してるっぽいぞっていう臨床データをもとにされています。
ちなみに、この血中濃度の度合いを超えてしまうと、リチウム中毒になる少し危険な薬でもあります。
リチウム中毒は、吐き気や震えなどたくさんの症状が出るそうです。僕はなったことがないですね。
あとは、躁っぽくなった時は頓服でリスパダール。これも抗精神病薬です。
眠れないときは、レンドルミンやベルソムラを使っていく。
そんな感じです。
入院中に飲んできた薬や、退院時の体調や状態を参考にして退院後に出される処方が決まります。
僕はリーマスとロドピン、そしてレンドルミンが処方されて退院しました。
僕が薬を飲むことを嫌がり飲んでいなかったことは病院にも筒抜けです。
そこで薬については入院中にその重要性についての講義があったり、医師からこっぴどく飲みましょうね飲みましょうねって言われたりしていました。
もーわかった、わかったよぉーってくらい言われるんですよね苦笑
そのお陰もあったかもしれません。でも、それを抜きにしても、僕は自分自身の意思で薬を飲むことにしました。
その理由は2つあります。
1つ目は、精神障害者としての自覚が芽生えた、という感じでしょうか。
自分が自分を受け入れた。むしろ、受け入れざるを得なかったが正しいかもしれません。
入院もしたし、もう飲まないなんて言ってられないな、と。
いい意味で言えば受け入れた。悪い意味で言えば諦めた、ですね。
そして2つ目は、これまでは絶対に自分の病気を隠さなければならないという思いを抱いていたのですが、躁状態で周りの人にバレ、どうなるもんかと思っていましたが、案外そばにいてくれる人はいる、ということを知ったからです。
退院後、ダーツバーのオーナーさんも暖かく迎えてくれました。
「まつらちゃんおかえりっ!大変だったね。まぁこれからは薬を飲んでいこうよ!」
ニコっと、言ってくれました。
あっ、避けられていないんだな。普通に接してくれるんだ。
そう思って、それは嬉しかったです。
しかし、もちろん悲しいこともありました。
当時、ダーツバーで一番仲よかった友達と、彼女は離れていきました。
思えば彼女との未来について考えたところから躁が始まっていったように思えます。
もちろん他にも要因はたくさんありますが、今の状態の自分では、彼女を幸せになんてできない、だから頑張らなくちゃ・・・!こうして躁になっていって結局彼女に関しては、ラインも電話もブロックされて音信不通となり、別れ話も何も話すことなく終焉を迎えました。
今となっては笑って話せますが、当時、さすがにこれは立ち直るのに時間を要しました笑
そして、ワイン屋さんはクビになりました。
上の人にまで話がいってしまったようで、もう我が社には関わらないでムードプンプンでした。
さようならの挨拶もできないうちに、そのワイン屋さんの退職届を書かざるを得ない状況となったのです。
これが、仕事場へ出禁の自己都合退社ってやつです。
僕の面倒をみてくれた先輩、優しくいじってくれていたみんながどうなったのか、どうなっているのかは、わかりません。
会社として、接することを禁じられているので。
この話も、どんな状態だったのか機会があれば語りたいと思います。
退院後は、この様にいろんなものを失いました。
でも、ダーツバーのオーナーさんみたいに、残ってくれている人もいたのです。
「最悪な状態を見せても残ってくれる人もいる。」それが僕にとって偉大なる発見だった様に思います。
僕はそんな経験を経て、自分の精神病を受け入れ、そして、薬を受け入れました。
それからは、基本的には薬を飲んでいます。
一日1000mgのリーマスを毎日飲んで、血中濃度を保っています。
これで今、平穏を手に入れているのです。
めでたしめでたし
・・・のはずでしたが!
薬を飲んでいるのに、その後二回も医療保護入院になっています笑笑
その後今度は文房具販売の会社に正社員で就職し、半年経ったところで躁状態!からのクビ!
初の幻覚が見え、テレビのリモコンと会話などをします!
退院して、一念発起し今度は臨床心理士になるために勉強!
しかし、受験期に躁状態で、またもや幻覚も見えるは、わけのわからんことするわてんやわんや!
・・・。
そんなこんなを経て、今に至っています。
この記事は薬をどう受け入れていったかということがメインなので、僕が自分の病気を受け入れて、薬を飲むことにしたところまでで、詳しく書くのは終えておきます。
受け入れた後のことも機会があれば、書いてみようかな。
まぁ不思議なもので、この前の激躁のてんやわんやしている時に突然今の会社を立ち上げたからこそ、そして、激躁の時に意気投合したライターのパートナーがいたからこそ、今こうして記事を書いているわけです。
よくそんな話をしています笑
良くも悪くも躁になっていなかったら、これまでの体験談もなかったし、躁になっていなかったら、皆さんにお伝えすることもなかったと思います。
人生どうなるかわからないというのは、本当ですね笑
さて、全4回に渡ってお送りしてきた、「精神病の薬を受け入れるまで」ですが、いかがでしたでしょうか?
薬を飲むこと、行為だけで考えればお水があれば2秒で済みます。
しかし、特に精神病についてはいろんな思いがあって薬を飲むことに落ち着く人もいるのではないでしょうか。
逆に飲まないと決めた人もいるでしょう。
薬を飲めって言うことは簡単だけれど、飲むことは簡単ではない。
僕は精神科の薬を飲んでいる全ての人は偉いなって思うんですよね。
頑張ってるなって思います。
飲まないって決めた人も僕はですが偉いなって思います。
頑張ってるな、頑張れ!って思うんです。
この記事で、僕が言いたかったことは、この記事で何処かの精神科の薬を飲んでいる誰かが「まつらみたいな人もいるんだなー自分も頑張ってるんだな」って思ってもらえたら嬉しいな、と言うことです。
いい感じに閉めましたね!
よしよし。
では、最後に一言!
・・・・・・・。
これからも様々な記事を書いていくつもりです。
こんなこと書いて、あんなこと書いてというものがあれば何なりとお申し付けください。
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それでは、バーイ!