前回、初めての躁を経験し、会社を退職するところまで書きました。
さあ、僕が精神病の薬を受け入れるまでシリーズ第3回目でございます。
本当は薬にまつわる部分だけ抽出して一本で書こうかと思っていたのですが、薬の歴史って本人の歴史と密接に繋がっているんですね・・・ながーくなっております笑
そして今回もなかなかに脱線もしながら、また進んでいきますかね。
さて
退職にも色々な退職がありますよね。前向きな退職、後ろ向きな退職。
前向きな退職ならいいですよね。
転職活動をしてより条件のいい会社へ。なんならヘッドハンティングなんてされちゃって、より高みへ!みたいな。
ゴールドマンサックス!!!(謎)みたいな
きっと、ウキウキして、これからどうなるのかワクワクしながらなんでしょうね。きっと。
定年退職なんかも、退職の仕方としてはいいですよね。
これまで頑張ってくれてありがとームードで、花束なんてもらっちゃって。
・・・ふむ。
僕は3回退職を経験していますが、全て体調不良なので前向きな退職をさっぱり経験したことはございません!!!!(ドーーン)笑
後ろ向きな退職はねぇ、これはもうまた、いやーな感じなんです笑
はっきり言って、後ろ向きな退職って、僕はもうトータル全ての行程が嫌いです笑
辞めることになるまでの過程も、辞めることを上司に告げることも、理由を話すことも、面談をすることも、全体に辞める挨拶をすることも、荷物片付けるのも、いろんな書類シュレッダーするのも、最終出社日前夜も朝も昼も(ブツブツブツブツ)・・・気分はずぇーんぶ地獄です★
あ、僕の場合、正確にいうと1社目はこの行程踏みましたが、そのほかの2社は出禁でオフィス入れなくなりましたから挨拶とか片付けとかは一切やっていません。
そう、出禁。
・・・・。
まつらペディア
バーで、酔うまでは普通の人なのに、酔うとあまりに酒癖が悪く他の客にだるい絡みをし続ける常連にもなりきれてないやつが、一度マスターから注意勧告を受けたにも関わらず、再度ダル絡みをしてしまい、マスターも今までの仲の情けで泣きのラスト勧告をするも結果は虚しく、結局そいつの態度は変わらず、ダル絡み開始からのマスターにより店外へつまみ出されて、路上で言い渡されるやつ。そんな様な待遇。使い方「出て行け!!お前は出禁だ!!」
・・・会社に出禁って笑笑 って感じですよね。普通はありえない。
でも双極性障害1型ともなってくると、オフィス立ち入り禁止の自己都合退社ってシチュエーションが生まれてくるのです。
やはりキーは躁。
僕は上がるときとことん上がって、テレビのリモコンとかと会話を始める(恐怖)ので、ヤヴァイです笑
ここら辺は、また今度書いていこうと思います。
あ、でも、後ろ向きな退職の行程を経て、全てが終わって、自宅など安全地帯に帰ってきた瞬間だけは、心の底からホッとできます。
サウナから出た後っぽい感じですね。ずっと苦しい思いをしていたのが解き放たれる感じ。
でもこれも、しばらくの間だけね・・・。
そう、しばらくなんですよこれも。
だんだん、どうやって生活しようとか、みんなは頑張っているのに僕はなにをしているんだとか、そういう波がやってきます笑
中々落ち着かないんですねぇ〜。
平和に勤められている人がどんなに羨ましいことか・・・笑
まぁいろいろ語りましたが、僕が1社目を辞めてその後について、薬のことを交えながら書こうと思いまーす。
1社目退職、しばし千葉で休む
ズタボロの状態で1社目を退職し、北海道から千葉へ戻ってきました。
一度の休職くらいならまだよかったんです。そんなこともあるかもね的な。自分もそう思えたし、周りにもそう思ってもらえる気がしました。
しかし僕は、新入社員で休職2回してしかも退職。もー心はズタボロ。
プライドというよりも、自尊心がズタボロでした。
1社目の会社は総合職の同期が40人くらいいて、内定者時代には飲み会もたくさんしたし、旅行に行ったり、バンジージャンプ飛びに行ったり、めちゃくちゃ仲よかったんです。
入社後は僕は北海道に行ったのであまり関わっていませんでした。
と言いますか、僕は病んだので関わっていきませんでした・・・涙
僕はそんな同期たちに、なにも言わずに会社を去りましたね・・・。(ごめん!)
電話が来ても、震えながら無視。(ごめんごめん!)
ラインも来るな来るな来るなって思っていたし、来てもまた無視。(ごめんごめんごめん!)
ヒドーーイって言われそうですが、本当に精神状態が無理でした。
大学時代の友人も、本当に限られた人としか連絡は取らない。
完全に殻にこもっていました。
なんでかわからないですが、人が怖くなっちゃうんですよね。
こんな弱り切っている自分を見せたくないという気持ちもあったと思います。
でもそれだけじゃなくて、もう耐性が豆腐以下になっているために「お前がぬるいんだよ」類の言葉を言われたら生きていけないとか、頭に言葉が浮かばないから話すこともできないこととか思っていたのかな・・・いや・・・むしろ・・・その・・・いろんな要因がありすぎてわからないですね。
ほんと鬱だったんだと思います。
帰って来たばかりの頃は、野田の田舎の方で父親と犬と暮らしていました。
父親はまだ定年になっていなかったため、会社に行くわけです。
周りはパチンコ屋しかない野田の田舎です。
もちろん、毎日パチンコ三昧でした!!(嘘です。)
毎日ケンシロウが頑張ってくれていました!!(嘘です。)
稼ぎもないし、パチンコ屋さんに興味が出るわけもなく。
なにをしていたかって、家で寝ていました。ひたすらに。現実から遠ざかって。
僕は寂しがり屋なので、独りは苦手です。
そんなとき、犬がいて本当に良かったです。
犬に話しかけたり、顔をグニュグニュに伸ばしてみたり、やっぱり犬がいてくれるだけで本当に独りぼっちというわけでいない感じがします。
お布団の上で犬と二人、転がって過ごす日々。
ありがとう、犬。。。
なんだか、のんびりというよりは、無って感じの時が流れていたように感じます。
当時の薬は、なにを飲んだのか、覚えていません。
でも、野田の精神科病院に行っていたことは覚えています。
そして、そこの女の精神科医との会話をはっきりと覚えています。
精神科医「躁のとき、どんなことしちゃったの?」
僕「かくかくしかじかで、こんなことしちゃったんです・・・(しょぼん)」
精神科医「あちゃーーーーーー!!!!そうなんですねーうんたらかんたら」
・・・・。
あちゃー。
あちゃーとか言うんだ。
闇の中にいると心も余裕がなくなるものです。
あっこの人は無理だと思いました。
僕自身もよくないことをしたんだととても後悔して苦しんで今でも引きずってて言いたくないし思い出したくないことなのに、この人はそっちから聞いといて、あちゃーーーーとか言うんだ。
申し訳ないですが、この時点でクソ医者だと認識してしまいました。信頼は無しです。
医者との相性云々の話はよく耳にしますが、クソな人もいるんだなぁーって初めて実感しました。
良い医者もいますがクソ医者もそりゃいますよね。
今となっては些細なことだと思います。
あちゃーってなんやねんっ!!あちゃーとか言うお前があちゃーやねんっ!!
ってツッコメばよかったのになって思います笑
しかし、当時は、無理でした。
追い詰められていると笑うこともできなくなってきますよね。
でも、当時、そんな人に出された薬は飲んでいたと思います。
薬が効いていた感覚は一切ありませんでした。
薬よりも、ひたすらのんびり、のんびり。
犬をグニュグニュ。
グニュグニュの方が、薬より良かったんじゃないかなと思います。
そして、そんな生活を続けていると体調は徐々に回復して来ます。
それは、やりたいなって思うことが増えていく、そんな感じの回復です。
Youtubeを見始める生活に移行し、体でも動かすかと散歩し、ジョギングへと時間をかけて徐々に進化していきます。
さらに都内に住む友人に、都内においでーと誘われることがちらほら出て来ました。
野田から都内は行けなくはないけれど、片道2時間くらいかけてましたね。
もうちょっと近いとありがたかった。
そこで、そろそろ田舎にいるよりもいろんな刺激を受けた方がいいということになり、住む場所を都内の母親の家に移すことになったのです。
都内で暮らす、ダーツバーで居場所を見つけるが・・・。
都内に帰ってきて、大分元気になって来ました。
遊びたいなーとか思えるし、友達にもちらほら会っているし。
そして、まず人に慣れないといけないなという思いが浮かびました。
犬とばっかり過ごしている時間が長かったですし、会社での出来事で少し対人恐怖的なものになっていました。
僕の昔を知っている人とは今絶対に会いたくない、でも新しい人と話すように頭も回転していない。そんな状態で悩んでいました。
そうしたら、知り合いが、君の近所にアットホームなダーツバーがあるよと紹介してくれました。
ダーツバー自体は北海道で通っていたけれど、アットホームなところがあるんだな・・・。
行ってみようかな・・・。
まだあまり喋りに自信がある状態じゃなかったですし、人が怖い。
僕はほんとうに恐る恐るではありますが、そのお店に向かいました。
お店は家からすぐのところにありました。
お店の前まで行って、緊張して立ち止まりましたが、「ここの新しい世界の人達は自分の病気や過去なんて知らないんだ、普通に行けばいいんだ」と思いながら入店したことを覚えています。
その時ちょうどそこで働いていたのが、前に僕のブログにもでてきていたお笑い芸人・吉本クリエイティブエージェンシー所属の親方さんでした。
親方さんは初めての僕に親身に接客をしてくれました。
それは、新しくやってきた転校生に色々教えてあげるように優しく、かといってあまり深いことまでは聞かない大人の配慮もありました。
僕に対して興味を持ってくれているだという喜びと、辛い部分をえぐられることはなさそうだという安心感でとても丁度よくいられたと思います。
他にもバーのスタッフさんはいて、そのスタッフさんに親方さんはいじられて、笑いあっていて、それで場が和んむような、言われた通りアットホームな空間や雰囲気が感じ取れました。
その時そのバーに勤めるスタッフさんは芸人さんと役者さんで構成されており、その人たちは本当に愉快で笑いを大切にしていました。面白く、そして、人は傷つけない、でもいじり倒す、そんな方々でした。
そして、そんな方々を雇うオーナーさんもまた、人間味あふれる優しい人でした。
僕は北海道でダーツはしていたけれど、最近久しくやっておらず、かつ、その店の人と絡むのもまだ心の段階的に早かったので、お店の空間に居るということを目標に通いだしました。
ダーツバーでのリハビリテーションです笑
バーにいて、何もせず、何も話さずに椅子に座っているだけなのに結構な頻度でくるやつというのもなかなか怪しいですし、何か誰かから話しかけられそうなもんです。
だから僕は店内にあるメダルゲームをずっとやっていました。
これなら、そんな話しかけられることはない、居ても大丈夫、でも周りの人の会話や笑い声は聞こえてきて雰囲気に慣れられる。
メダルゲームをしに、ダーツバーへ行く日々を少し続けると、だんだんと常連さんがどの人なのかわかるようになってきます。
心理学でいうところの単純接触効果、会う回数が増えるごとに親近感が湧いてくるのです。
はじめは話すなら親方さんや他のスタッフさんだけでしたが、段々と会話をする人が広がっていきました。
少しずつ人に慣れていきました。
すると、こういうところでは、「仕事はなにしているの?」ってよく聞かれるんですよね。
嘘もつきたくない、でもマイナスなことも言いたくない、とこの問いを聞かれるとひやっとしていました。
そで僕は、「転職活動しているんですー。」って答えていました。
この頃からですかね。具体的にこれとはなかったですがぼんやりと次の仕事をどうしようかなと考え出しました。
そのバーには僕と歳の近い人もちらほら来ていて、繋がっていき、連絡先を交換しました。その人から「今からバー行くんだけどきなよ」、なんて連絡が来る時もありました。
オーナーさんも、僕が顔を出すたびに、
「おっ、まつらちゃん!!来てくれてありがとねっ!」
と笑顔で話しかけてくれます。
それらがとてもとても嬉しかったです。僕の居場所って感じがしました。
そのダーツバーで流れる時間は、僕が大学生の頃までに感じていたものと同じで、そこにいる時だけ僕は自分がけちょんけちょんになって帰って来たことを忘れることができました。
それと同時に、僕の病気を知られたくない、知られたらなんて思われるかわからないっていう気持ちがとても強くなって来たのでした。
この時、頭に思い浮かんできたことがありました。
もしかして僕は、普通なんじゃないか。
そうだ、僕は病気なんかじゃない、僕は普通だ。普通なんだ。
・・・薬が飲みたくない。
そんな思いがあふれ出したのです。
先生公認の断薬
そのころは、都内のメンタルクリニックに通っていました。
そこの先生は、女性なのに熊みたいに大きくて威圧感があるんだけれど、話し方も優しい感じのギャップがある方でした。
初めてその先生に会った時、事情を話し終わった後、「まつらさんは我慢強いんですねぇ」って言われたことが印象に残っています。
意外でした。
僕は僕自身我慢弱いと思って自分を責め続けていたのに、先生は真逆の言葉をくれたのです。
心が軽くなった音が聞こえた感じがしました。
前の先生とは違って信頼もできそうと思いました。
双極性障害のメインな薬は気分安定薬です。
これは、鬱や躁の波を静めてくれるもので、体調に問題がない時も毎日飲まなければいけません。
僕にはもう鬱はなくなり、躁も出ていない状態でした。
病気を診断される前と何も変わらない状態。
しかし、毎日、高血圧の薬のように気分安定薬を飲まなければならないのです。
辛くなってしまったのです。
過去には確かに躁状態が起き、いろいろやらかしました。
しかしそれは、いじめられて、鬱になって自分が落ちこぼれてしまったことへの汚名返上のための底力だったんじゃないのか。
確かに自分はおかしかった。おかしかったけれども、今は普通でみんなと仲良く平和に過ごせている。
そんな躁の過去はもう見たくない。
今から思うと完全に現実逃避です。でも今の僕でも、その時の僕が逃避したくなる気持ちはとてもよくわかります。
双極性障害は再発率が高い病気で、躁の再発率は80%だとかなんとか。
薬を飲めばその割合を下げられる。しかし、薬を飲んでも躁にならないとは限らない。
つまり、薬を飲んでいても、躁になってしまう人はいる。
逆に、薬を飲まなくても、もう躁にならない人もいる。
・・・薬ってなんなの???
僕らの気持ちがわかっていない人や、クソ医者は「いいから薬を飲みなさい」っていうと思います。
まぁ今の僕からすると、薬は飲んだ方がいいんじゃないかなって冷静に理解できるけれど、それは僕がなんども躁を発症し、色んな経験をして来たからこそ。
当時の僕なら100%、「簡単にいうけど健常者になにがわかるんだ!」と怒っていたと思います。
「精神病の薬を飲む」、このシリーズのテーマですが、これだけのことなのに本当に深いのです。
その時の僕は、メンタルクリニックの先生に相談をしてみることにしました。
「先生、僕はどうしても精神科の薬を飲みたくないんです。絶対に飲まないとダメですか?」
すると先生は、
「私が絶対に飲みなさいという病気は2つです。それは認知症と統合失調症。この2つは薬を飲むことを絶対に勧めます。でも双極性障害は、絶対とは言いませんよ。そんなに飲みたくなかったら、飲まないでみたらいいです。」
えっ。
想定外の回答でした。
今となってわかることですが、のちに僕はまた躁になり、入院まですることにはなります。
きっと、多くの人が、この人はヤブ医者だとか言いそうです。
もしかしたら先生の発言は双極性障害2型の方を想定した回答だったのかもしれません。
でもこの先生はその時の僕の心をすごく尊重してくれました。
心から救われました。
この時無理矢理にでも僕に薬を飲ませ続けていたら、のちに躁になって入院することもなかったかもしれません。
・・・でもそれが正しいのでしょうか。
僕はいろんな人に迷惑をかけてきているので、大きな声では言えませんが、この時の先生の判断に今も感謝をしています。
なぜならこの時、それくらい気持ちが救われたのです。
それにきっと、この時の僕にどんな言葉で飲めと言っても、反発をしていたと思います。
先生はそれを理解して、あえて、飲まなくていいよと言ってくれたのではないかと思います。再発しないことを願いながら。
そこから僕は薬を飲むのをやめました。
東大病院のこころの検査入院を受ける
そんなときに、祖父が、東大病院で一度徹底的に調べてもらった方がいいと言い出しました。
東大病院で「こころの検査入院」というものが行われていました。
祖父は東大卒らしく東大が好きなのです笑
東大病院の「こころの検査入院」とは
概要
東京大学医学部附属病院 精神神経科では、うつ症状のある方の診断の正確性を高め、治療の適正化を目指した『こころの検査入院プログラム』を行っております。
当院精神神経科開放病棟への4日程度の入院により、短期間の休養と併せ、集中的な検査、心理プログラムを通じ、患者さんの診断治療の新たな方向付けをし、ご紹介医へフィードバックいたします。
臨床評価に有用であるものの、普段の外来診療では行うことが難しい各検査を集中的に行い、ご紹介医のより的確な診療の一助にしていただければ幸いです。検査内容
本検査入院にて行う検査は以下の通りです。
● 心電図、単純X線検査
● 光トポグラフィー(NIRS)検査:うつ症状の原因疾患診断補助
● コンピュータ画像診断(CT)、脳波検査:器質性精神疾患の除外診断
● 血液検査:合併症の除外、評価
● 精神科診断面接(SCID)による、詳細な症状の評価
● 心理検査:知能検査(WAIS-R)、人格検査(MPI・SCT)、各種臨床評価シートによる状態評価
● 評価シートによる発達障害の簡単な評価
● 核磁気共鳴診断(MRI)・単一光子放射断層撮影(SPECT):認知症などの除外診断(検査の必要がある場合。東大病院HPより http://www.h.u-tokyo.ac.jp/patient/depts/kokoro/
・・・・・・・。
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