前回、精神科の薬を初めて飲むまでのことを書いてみました。
今回が僕が精神病の薬を受け入れるまでシリーズ第2回です。
本当に・・・辛いですよねぇ・・・
まぁしかし、今ではフリスクのように飲んでますけどね。(嘘です)
今では、抵抗感は少なく飲めています。
毎日、夜に飲むのがルーティーンになっていて、酔っ払った日でも気づくと飲んでいます。
あれ、どーやって帰ってきたっけな??って日もきちんと飲んでから寝ています笑
そこまで育ちました。立派なもんだ。
では、今回は初めて薬を飲んでから、鬱にも躁にもなって会社を二回休職し、結果退職するまでという、ディープな部分を薬を軸に書いていこうと思いまーす。
初めて飲んでから初めての休職まで
僕が北海道円山公園近くの神社の境内で初めて薬を飲んでから。
これは・・・効くゼェーーー!!!!!!!(メラメラ)
・・・なんてなりませんでした笑
違法ドラッグではないのですから、そんなに瞬間に爆発的に効くなんてことはないんですね。
もらったドグマチールは鬱にもほんわかと効く胃腸薬です。続けて飲んで効果が出るかなって感じなものです。
そして、デパスは抗不安薬。不安な気持ちが穏やかになりリラックスすることができるとされています。
その時は、薬の効果よりも、薬を飲むほどになってしまった=かなり悪化している=精神病患者=頭がおかしい!みたいな、偏見バリバリの思考になっていましたから笑
こればっっっっっかり考えていました笑
あとは、今後会社はどうするのか、どうやって生きて行くのかみたいな生活面ですね。
薬はもらって飲んで通勤をしていったものの、やっぱり辛い気持ちは治りません。辛いものは辛いです。
今となっては当時のことは心理学で簡単に説明できます。
心理学、ちょっとばかし勉強しましたので笑
さて皆さん、心理学で有名なパブロフの犬ってご存知ですか?
心理学でいうところの学習の話なんですが。
簡単に説明しますと・・・・
昔々、パブロフさんが犬に実験をしました。
それは、犬に餌をあげると同時にベルを鳴らすというものです。
犬に餌をあげる→ベルを鳴らすを毎回のご飯タイムで行ったわけです。
わんわん→パク→チリーン、わんわん→パク→チリーン・・・。
すると、犬はベルの音を聞いただけで、唾液を流すようになってのです!
これが心理学でいうところの学習。行動療法の機序となる学習理論です。
嫌なことでも同じように学習は行われていきます。
僕の場合は、育成担当者が日々の意地悪に加えて、何かあるごとに怒ってきました。(僕にはそう感じました)
僕がなにかする→育成担当者が怒る→僕が怯える、僕がなにかする→育成担当者が怒る→僕が怯える・・・
これを繰り返すわけです。
完全に、わんわん→パク→チリーン状態です笑
すると、僕がなにかしようとすると僕は怯えてしまうようになりますね笑
見事な学習。詰みってやつです笑
人が怖くなったし、毎日ビクビクしていました。
そんな異変に気付いた上司の次長さんもフォローをしようとしてくれました。
その時の次長さんに、晩御飯でご自宅に呼んでいただいて、緊張ほぐしがてら幼稚園児の息子さんとゴジラごっこという独自の遊びをしたあと、話の席を設けてもらいました。
「まつらはグループを変わりたいか?」と。
しかし、もうその頃には手遅れになっていました。
その育成担当者と一緒にいると辛いので今のグループにいられない・・・。
かといって、新しいグループももう新しいことを覚えられる脳みそじゃない・・・。
その場での答えは保留にし、とりあえず今までのグループに残りました。
流石に上司も動き出し、育成担当者は攻撃してこなくなり、逆にフォローをしてきました。まぁ、育成していた新入社員を病ませたらあちらもあちらで立場がないですよね。
・・・ぶっちゃけ今さら感がすごかったです笑
というか、ここでフォローするなら、ほんとどういう神経でいじめてきたのか、僕にはわけがわからないです笑
でもそんな行動も虚しく、もう無理でした。
育成担当者は頭がすごくキレるし、僕以外への調整事はうまい感じなので、上司が気づく頃には僕はもう出来上がってしまっていたんですね。
ほっかほかに炊きあがっていたわけです。
もうどうしようもなくなって、死ぬことすら考え出したので、やはりそこは休職をしました。
この休職をするのかしないのかという時期には、デパスを結構飲んでいたと思います。
薬は一度飲んでしまうと抵抗感が下がるのですね。
そして、とにかくシンドくて、駆け込み寺のようにデパスを使っていた気がします。
薬のこともインターネットで調べ、抗不安薬なら飲んでもいいかなと思っていたところもありました。
実際デパスは依存性が強いらしいですけどね・・・。
苦渋の決断で休職し、すぐに東京の実家に戻りました。
一度目の休職をし北海道から東京へ戻り療養
東京に戻ってからはデパスは飲んでいなかったんじゃないかなと思います。
飲まなければならないシーンが無かったですね。
おばあちゃんち訪問といって、おばあちゃんちに行って、口をポカーッと開けながらお昼寝をしているおじいちゃんと一緒にお昼寝をするっていう試みをしていました笑
そんな空間にデパスは必要ないのです笑
でもデパスの代わり、レクサプロを飲んで、自宅療養です。
レクサプロはSSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)で、副作用も少なめな当時の最先端なやつでした。
SSRIの機序は割愛します。とにかく元気になるやつなんです笑
SSRIとなると飲み出してから効果が出るまでに時間がかかり、かつ、いきなりやめることがダメな薬です。
本格的な感じがする・・・!
でも僕はもうやられすぎていて、薬に対する抵抗感もなかったですね。
休職までしているんだから、しっかり元気にならなくちゃなーと思っていました。
そしてこの時は、自分は適応障害で心の風邪をひいたんだな、くらいに思っていたのです・・・。
東京に戻った僕は、初めは閉じこもっていて、こんな惨めな姿を友達に見られたくないと思っていました。
ほんと行くとしてもおばあちゃんち訪問しかしていなかったです笑
しかし、帰ってきたことを伝えた友達はいて、その友達がご飯に誘ってくれて、そのご飯に他の友達も駆けつけてきてくれて。
そんな言葉にとても救われました。
ああ、社会不適合者のクズになってしまったと思ったけれど、受け入れてくれる友達がいるんだ。
僕はまだ大丈夫なんだ・・・!
とても安堵した記憶があります。
この頃は、ぼちぼちリワークにも通い出していました。
リワークとは、復職する前に体慣らしということで通う施設のことです。
リワークの施設にも特徴があるらしくて、、、そんなところはまた今度お話しします。
リワークに通っていた頃は薬はどうしていたか、、、あまり記憶がありません。
きっと、もう薬が嫌だなんて、思っていなかったからです。
3ヶ月間くらいかな。休職をして、元気になってから復職しました。
やっと復職できる・・・やっと社会の中に入っていける・・・。
そんな気分だったと思います。
復職、人生初めての躁状態、そして診断、二度目の休職
そこからはもう、絶好調でした。それはまさに夢のハイテンショーンの如く。(大黒摩季)
仕事もグループが変わり、自分仕事してる!という実感や達成感もありました。
自分のトークにも自信がついていました。
その当時ダーツにハマっていたんですよね。
頭にいろんなことが思い浮かび、面白いことが言えるのでダーツバーに行っては顔見知りの友達を作って、会社の後はほぼ毎日ダーツバーでワイワイしていたように思えます。
ダーツもメキメキ上手くなっていました。
彼女もでき、生年月日占いも最高(笑)という。
まさにフィーバーといった感じ。
大学時代の最後とかもかなり元気だったので、これが本来の僕かなって充実感を楽しんでいたのを強く覚えています。
あの時も躁だったのかと言われると謎ですが・・・
うーん、勢いづき上がりやすい人なのかもしれません。
しかし、その後正常の水準を超えてしまうんです。
そこらへんは長くなるので今度、回を分けてお話します。
とにかく躁になって上司に連れられてメンタルクリニックへ。
二度目の休職をします。
休職中に出された薬はエビリファイでした。
エビリファイは統合失調症の薬として開発され、多く飲めば躁に効き、少なく飲めば鬱に効くというすごい薬です。
めちゃくちゃ大量のエビリファイを飲めと言われていたことを覚えています笑
ドサッっっと笑
すごい不味い液状の薬がいくつもいくつも渡されました。
躁の時は、仕方ねぇなと思いながらエビリファイを飲んで、いろんなところを駆け巡っていた記憶があります。
この時、休職の身で、一度目の起業をし、バーを開業してしまっています。
バーテンダーとかは別の人にお願いして、僕はあくまで発起人の株主として。
まぁーこれがのちに全然うまくいかなかった・・・。
もちろんこれらは休職中の会社にはバレないようにしていました。
この話は、自分の中で今でもまだあまり笑いに変えられない出来事なんですよね。
だから、話そうとすると辛いです苦笑
まだまだ僕には笑いに変えられない出来事はたくさんあります・・・。少しずつ小出しにしようかな・・・。こういう思い出が頭をよぎるから本当に辛いんですよね・・・。
ハァ・・・・。
まぁいいや笑
とにかくいろんなことをしていました。
これが僕の本当の力だ!
辛い出来事があった分頑張って挽回しなくちゃ!!
そんな想いに突き動かされていたように思います。
ある時、飛行機で東京に行き、あるセミナーを受けている時、セミナーの椅子に座ってられなくなりました。
もう体をじっとしていることが苦痛で、うろうろしていないと居ても立っても居られない。
セミナーを抜け、飛んで北海道に戻り、メンタルクリニックへ行きました。
僕の体はどうなっているんだ??確実におかしいぞ??
そんな想いもありましたがその時は躁です。
強気で、頑張らねばならないと思っているので早く改善しないとという気持ち一心。
こんなことに負けていられないぞ、そう思っていました。
医者に診てもらうと、アカシジアでした。
アカシジアは、手足がムズムズしてじっとしていられなくなる薬の副作用です。
完全にエビリファイの副作用です。
僕が経験したアカシジアはとても辛かったのを覚えています。
本当に、転げ回ってしまいそうなほどのムズムズで苦痛の極みでした。その苦痛を長時間味わっていたのです。
医者にアーテンという副作用どめの注射をしてもらい、ピタッと症状は止まりました。
しかしその後、もうエビリファイは飲まなかったと思います。
あんなもん、飲んでられるか、と思って捨てたような気がします。
それから、はじめたバーがうまくいかなくなっていくと同時に、どんどん鬱になっていきます。
この時に医者にされた診断が「双極性障害1型」でした。
鬱へ、二度目の復職からの退職
風船が、ピューと萎んでいくように、僕の元気はなくなり、塞ぎ込み、人に会えなくなったのです。
この時医者からはアモキサンという薬をもらっていました。
自分は何をやっているんだろう・・・。
もうその時は鬱すぎて、どんな薬かも知らず、ただ飲んでいました。
もうどんな薬だってどーでもいい。
後ろめたい気持ちが強すぎて、もう自分の人生が破綻した感覚。
何で自分は、あんなことを、あんな人に、あの様な形でしたんだ。やらかしたんだ。
今後人生なにもいいことはない、なにを希望に生きればいいのかわからない。
そう、これが名物!躁状態の後の鬱なのです!!
巷で、双極性障害1型で最も辛いと言われているのがこの躁状態後の鬱。
やらかしまくった後、なにもできなくなるので、もうぐっちゃぐちゃです笑
酒好きならわかると思いますが、飲みすぎて酔いすぎてしまった翌日に、前日の行動について自己嫌悪を感じたりしませんか。
それのハイパー進化版です。
その時は本当に笑えませんからね笑笑
実際双極性障害は自殺しやすい病とされており、躁の後の鬱は危険なのです・・・。
そんな、地獄の様な状態だったわけです。
そこから、親とも相談し、もう一度会社に復職する権利はあるんだから、復職してみなよと言われました。
ウーーン・・・。
もう一度、復職・・・。
頭ではわかっていても、心はもうついていきませんでした。
また行きたくもないリワークに通い。
産業医もクリアして、何とかやっと復職しましたが、電話も怖くて出られない状態。
今考えたら完全にダメですね。ダメな状態です。
医者には、デパスをくださいと頼み、飲みまくっていました。
会社に行く前、会社で辛いことがある前、昼休み・・・。
パクっ・・・パクっ・・・パクっ・・・。
辛かったですね。
医者に、デパスをくださいと言ったら、プラセボ効果を促す偽薬を処方されたこともあります。(僕にばらして処方していいのかは今でも疑問)
君は飲みすぎている、薬に頼りすぎている、と。
そんなこといっても、もうどうしようもないんだから・・・
仕方がないじゃないカァァァーーーーーーーーー!!!!
・・・はい、もちろんそんな叫ぶ力なんてありません。
そうですか、わかりました・・・(しょぼん)
失礼します(しょぼん)
しょぼんしながら、偽薬をぽりぽり。そんな感じです。
偽薬はラムネみたいなもんです。
もちろん効果なんて僕には無かったですね。
僕はもう本当に、本当にもうどうしようもなくなり、会社を退職することにしました。
僕は最後は、総務課に配属されて、書類作りとかをしていたのですが、その総務課の方々が細やかながら送別会をしてくれたのがとても記憶に残っています。
中でもSさんという方が、こんな僕に本当に親身に向き合ってくれていました。
その方は普段は大人しくニコニコ静かなのですが、酔っ払うとひたすらに目を見て語り続ける方でした笑
「まつら君は素直だし、本当に応援したくなる。私は独身で子供ができる歳もすぎちゃったけど、まつら君は結婚して、子供を産んで、幸せになれる。幸せになってね」
と、何回も何回も語ってくれました。
躁になって、わけわからんことして、鬱になって全く機能しない僕のなにを見てことのひとはこんなこといってくれるのか。
さっぱり理解できませんでした。
意味不明。
でも、すごくすごく嬉しかったのは覚えています。
いつか、成長できたらこの方に会いにいきたいなーなんて密かに思っています。
あっちは、そんなこと言ったって覚えてないかもしれませんが笑
とにかく辛かったけれど、人の優しさに触れ、でもズタボロで、僕は東京へ帰ることになります。
正直この頃は薬は出されたもんなら何でも飲むし、とにかくなんか助けてくれよ!!(細い声)
って感じでしたね笑
この記事で僕が言いたかったのは、辛さが極まると薬はパクパク飲んじゃったりするけど僕はなにも解決はしなかったよ、ってことですかね。
でも飲んじゃう。それが人ですね。
もちろん、パクパク飲んじゃいけない薬もありますからね気をつけて。
重めの内容だったので最後は明るく。
次回の記事は、退職し東京に帰ってからです。
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では。