偏見と初めて薬を飲んだ日【精神病の薬を受け入れるまで①】

突然ですが知り合いからこんな連絡が来たらどう反応しますか??

のこ太
精神科の薬を飲むことになった。。。

 

まず驚きますよね。まじかよ、と。

具合は悪そうだったけど、そんなにだったとは、と。

特に精神疾患と身近に接したことがない人ほど驚いて、心配をすると思います。

それと同時に、この「精神科の薬」という言葉に嫌悪感を示す人は多くらっしゃるのではないでしょうか。

のこ美ちゃん
えっ、大丈夫なの?
のこ蔵さん
薬漬けにされて身体がおかしくなるから飲まないほうがいいよ
のこ爺
その薬は頭がおかしくなった人が飲むものじゃ。飲まなくていいんじゃないかのぅ?

 

などなど・・・。様々な人から、様々な正しいのか間違っているのかわからないけれどそんな感じがする言葉が出てきそうなものです。

一方、今、まつらがこの発言をしたら、

 

まつら
精神科の薬を飲むことになった。。。
のこ美ちゃん
今更何を言ってるのかしら。
のこ蔵さん
「。。。」じゃねぇんだよ。お前はいいから飲め。
のこ爺
日本の医者は優秀じゃのぅ。

 

などと言われそうです・・・!笑

理解ある友人たちからは、このようにいじられたりします。それが救いでもあるんですよね。

まぁここまで行き着くまでに長かったですよ。たくさんの心の変化がたくさんありました。

そこで、今回は、精神科の薬を飲むことを軸にして、精神病の薬を受け入れるまでのことをシリーズ4回にわたって語ってみようと思います。

では、シリーズ第一回目、はじまりはじまり!!

精神科の薬に偏見まみれだった自分

 

やはり考えが形成されるのは子供の頃、と言うことで、幼少期からの話を軽くしておこうと思います。

僕の幼少期は、いわゆる真面目ないい子でしたね。

大人の言いつけはきちんと守るような子でした。結構しっかり守っていた気がします。

例えば、懐かしい話なのですが。

小学生の頃、登下校のルートをある程度学校側が定めていたんです。

ここを通ってね、と。そのルート以外で帰ることは禁じられていました。

先生の前ではみんな「はーい!」と言うのです。しかし、そんな中、僕と仲がいい友人たちは「Xルート」といって、学校に定められた道を無視して帰宅する行動にハマりだしたんです。

Xとか、謎のとか、そーいうの小学生好きですもんね。

当時の我々にとって、学校で定められたルールは鉄の掟。いわば現代社会の法です。

仲良いみんなは、「悪い事をしているぜ俺たちは!」という背徳感やスリルを享受する為だけに法律違反を繰り返していたのです。

しかもですよ。そのルートは近道のルートっていうわけでもないのです。通常ルートで20分くらいで着くところをXルートは1時間とかかかるわけです。

まぁ今となっては、修学旅行の夜にみんなで部屋移動しちゃったような楽しい思い出になるんじゃないかとか、柔軟に考えられますが、当時の僕にとっては本当に生産性のない愚行。全く理解ができず、仲良い友達がみんなXルートに行き出すと、独りになったとしても絶対に行きませんでした。

小学生はみんなで群れたがる中で、僕は群れずに掟を守っていました。

ちょっとすごくないですか。

当時の僕は、真面目だったんだなぁ笑

そんな性格もあってか、勉強もしっかりやっていました。

朝5時とかにお父さんを起こして、漢字の勉強を手伝ってもらったりしてましたね。

言いつけも守るし勉強もやる。

そういった良い子でいることが心地よかったのをとても覚えています。

あとは、親を喜ばせたいなって気持ちも強かったと思います。

中学、高校の頃は勉強に加えて、ラグビーもやっていました。

中学の時は副主将をしていましたね。

勉強もして、体も動かして健康で、高校では男子校なのに彼女もいました。

そういった穢れのない優秀である自分が好きだったんですねぇ。

高校の頃自己分析をして、自分は視野が狭くなりがちだし真面目だし、鬱とかなりそうだよなぁってちょびっっとだけ思ったこともありました。

しかしその、なりそうだよなぁってことに嫌悪感があり、精神病なんて甘えだろ、なんでそんなことになっちゃってる人がいるのか理解できないって感じでした。

まつら
当時の僕は怖い・・・

 

そう、今の僕からするとそうなります笑

今よりもストイックで自分にも他人にも厳しかったですね。今よりも様々なことに頑張れていたとは思いますが、精神病への理解なんてゼロでした。

初めて薬を飲んだ時

 

僕はありがたいことに友達は多いほうでした。

ストイックとはいえども、鬼ではなく、精神病以外へは基本的に優しく、のんびりしてました。

一部の友人には「マターリ」というあだ名で呼ばれていたこともあります笑

あと、僕は学生時代も人に勉強を教えることが結構多くありました。

授業も真面目にノートを取っていたので、字がすごい汚いですがノートを貸してくれと友達に言われることもあり、勉強面でも友人と交流が持ててました。

そんなこんなで、学生時代に人間関係で悩んだことなんて、ゼロと言っても過言ではありませんでした。

しかし、まつらの半生でも書いたのですが、社会人一年目になった時、育成担当者にボロクソにいじめられました

・・・これはひどかった!笑

詳細は酷いので自主規制しますね笑

直接お話する機会があった時に話すこととしますね。

それで病みました。もうどストレートに病みましたね笑

体重が10キロほど減り、食べることの喜びは失われ、生命活動を維持するためにフルーツグラノーラをぽりぽりしなくてはと思って食べようとするんですが、億劫だしだるいし。

朝の通勤では、会社に近づくと、大量の汗が出て、エスカレーターの手すりにもたれかかっているところを他の先輩に発見されそうになって、シャキッとしたふりをして心がヘロヘロになったり。

営業だったのですが、お客さんの言っている言葉が頭に入ってこないのです。

何言ってんだかわかんなくて、すぐ忘れちゃう。こんな状態で、営業記録なんて書けるわけがないですね。

あと嫌だったのが、電話です。電話、出られません笑 何言ってんだかさっぱりで怖くなりました。

そんなこんなでもうありがちな、無回転シュートならぬ無回転鬱に突入していました笑

しかも北海道配属だったので同期はいましたがひとりぼっちでした。こーいうのって、同期とかになかなか言いづらいものなんですよね笑

意を決して会社が休みの日に父親に電話をして、具合が悪いことを告げたら、

父親
そうか、それは病院へ行きなさい。

 

断言されたのを覚えています。

この時はショックというより、藁にすがりたいけれどすがったら負けだ、でもこのままでは苦しすぎるという複雑な感情でした。まさに葛藤というやつでしたね。

僕は悩みましたが、病院へ行くことにしました

もともとの考え的に精神病を認めていなかったので、すごくパワーが必要でした。

でももう、行くしかないなと。。。

メンタルクリニックはいきなり行きづらいということで、円山公園にある内科へ。

この先生はとても優しく、順番もあえて診療時間の最後にしてくれて、とことん話を聞いてくれました。看護師さんも優しかったのを覚えています。

まぁいざ先生を前にしても、話そうと思っても、実際そんな話せないんですよね。

テレビみたいに突然ウワァーーンて号泣なんてことはありません。

泣けるってだけで、その人は、心はありますからねぇ。

たどたどしていてしどろもどろで、とにかく自分がダメなやつなんだという思いが頭から離れなかったです。

あと、僕みたいな人って他にもいるんですか??こんな一年目なのに・・・って話を何度も聞いていた気がします。

頭回っていないから何度も聞いてしまうんですよ。

それこそまだほやほやなりたてで右も左もわからなくって不安しかなかったですからね。

先生も優しいとはいえ内科医で精神科医ではなく、そんな情報を知っているわけではありませんでした。

ふんふんふんと、拙い僕の話を聞いてくれるなって感じでしたね。

きっとそれがその先生ができる最大の優しさだったのでしょう。

そして、ついに薬を処方してもらいました。

内科でもらったとはいえ、初めてのメンタルの薬。

なんの薬かは正確には覚えていませんが確かドグマチールデパスだったと思います。

これをもらってすぐ、近くにあった神社へ、トボトボと歩いて行ったのはかなり印象に残っていますね。

まさか自分が、こんな薬のお世話になるなんて・・・。

自分は、甘ったれたダメ人間だ・・・。

社会不適合者だ・・・・。

そんなクラーーーイ思いがブンブン飛び交っておりました。

インフルエンザになった時、薬をもらったら、やったーこれでよくなるぞーって嬉しいですよね(僕だけかな笑)

メンタル系で薬を初めてもらって、やったーって喜ぶ人はいないと思います。みんな絶望を感じて、悲しみながら飲むんだと思うんですよね。

一人神社の境内に座りながら、処方された薬を飲みました。

泣こうにも、涙も出ませんでしたね。

もう社会では生きていかれないのかな。

薬も飲んじゃった。

友達にはなんていえばいいんだろう、恥ずかしくていえない。

 

 

・・・暗い。笑

暗い話ですね笑

懐かしいです笑

まぁ今だから思いますけどね、初めてだとこんな気持ちになっちゃうんだなーって。

物心ついた初めてのクリスマス、サンタさんからのプレゼント爆発的に嬉しくて喜んで飛び回ったんだと思います。

それを見たり思い出したりして、若いな、可愛いなと思う。

これと同じです笑

その時の僕は、今となっちゃ本当に若く感じるし、なんだかあの絶望感も嫌ないい経験と言いますか。

新卒でいきなりいじめられておかしくなって休職ですからね笑

いやーーー辛かったし、薬のむのは嫌だった笑笑

なかなかそんな絶望感ないですよ笑

僕の取り組みを手助けしてくれているパートナーも休職経験者です。

パートナーは、メンタルクリニックに行ったけれど、

パートナー
僕はもらった薬は一切飲まないで、全部捨てましたよ(ニコッ)

 

と言っていました笑

人それぞれの精神科の薬初体験があると思いますが、これはそれらの全てが絶望感を伴っているのではないでしょうか。

中には、鬱と診断されてホッとした、などの病名がついてホッとする方もいらっしゃいます。

でも、精神科の薬飲みたいと思えていたんでしょうか。

僕はそうは思えません。

地獄みたいな気持ちを味わって、この世界へ入ってきてしまっているんじゃないかなって思うんです。

 

大変だったよねぇ皆さん・・・笑

 

そう、僕がこの話で言いたかったのは、この思いがない健常者を恨みたくなるほど、みんながみんな薬飲み出すときはとても辛いと思うんだ、ということ。

 

まつら
それを乗り越えて今があるし、これからの辛いことも薬の時と同じように乗り越えていけるんだと思う。

 

 

次の記事では、初めて薬を飲んでから短期間に休職を2回も経験し、会社退職に至るというかなりズタボロな(笑)部分を薬を軸に書こうかなと思います。

辛い日々の中で結果薬にすがる【精神病の薬を受け入れるまで②】

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では。




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4 件のコメント

  • まつらさん、こんばんは。
    メンタルの薬飲むのは、葛藤がありますね。

    私も、診断されてから、10年掛かって、
    ようやく薬を飲むようになりました。

    それまでは、調子がいいからといって薬飲むのを勝手にやめたり、根性で治せとか言われて、捨てられたりして飲みませんでした。

    けれど、3度目の医療保護で、服薬が1番大切だと思うようになりました。

    私も、今度は再発しないように、キチンと内服しようと思います。

    • 加藤さん、こんばんは。コメントありがとうございます!とても励みになります!

      薬を飲む様になって、よくなるとやめる、これは双極の多くの人が一度は通る様な気がします。
      僕もよくなってやめましたよ。だって自分が精神病だという事実が嫌で嫌で避けたくて仕方がないことでしたからね。
      精神病の薬を飲むって、別の意味で心に傷がついていく様に思います。
      でも今は毎日飲んでいます。
      加藤さんと同じ様で、入院をして、服薬しようと決めました。
      よく言えば受け入れた、ですが、悪く言えば諦めた、になりますねぇ。
      この後の回で、まさにそんな僕の薬との葛藤を描いてみました。
      毎日一回づつ投稿しますので、お楽しみにしていてください。
      これからもコメントお待ちしております。

  • 拝読させていただきました!
    私も双極性障害(躁鬱病)の疾病者でII型の診断を受けています。

    躁鬱による苦い自己体験が赤裸々に語られていて
    同じような経験のある私からすると仲間がいたんだなぁと救われる思いです笑

    精神病や薬に対する偏見は私もあり
    最初の診断の際には服薬を拒否しました。
    特に躁状態の時に受け入れるのは非常に難しいと思います(ー ー;)

    しかし逆に言えば
    そういう人だからこそ躁鬱になりやすいんだと思います!

    受け入れられないままただただ自己嫌悪を繰り返し
    負の連鎖から抜け出せなくなり最終的に重い鬱に陥ってしまうんだと思います。

    一度鬱になると自力ではなかなか立ち直れません。
    立ち直れたと思ったら躁だったりします(泣)
    自分も二度目の鬱の時に諦めて服薬を決意しました。

    今もし自分の躁鬱病を受けられない人がいるならこのことだけは気に留めておいて欲しいです。

    • コメントありがとうございます。
      そしてお読みいただいて嬉しいです!

      僕もホームページなど作って活動を始めたわけですが、想像以上に仲間はいました。
      これまでで想像を超えているのでこれからもっと超えていくのだと思います。
      みんな、表にはなかなか出ずに、苦しんでいるものですね。

      薬への偏見は仕方がないものだと思います。
      2度目の鬱で諦めて服薬したとのことでしたが、お辛かったですね・・・。
      先人の知恵として、薬の大切さを伝えるのは必要だと思います。
      しかし、どんなに伝えても拒否する人は拒否するでしょう。
      僕も昔は拒否する人間だったと思います。
      そんな時に、その拒否する気持ちを認めつつ、いつか辛い想いをして諦めることになった当事者をフォローしてあげればいいかという心持ちになっておくことも大切なんじゃないでしょうか。

      これができるのは経験者、つまりはピア、我々なんだと思います。
      そんなことをしていけるネットワークをまつらは作っていきたいと思っているわけでございます。

      またコメント、よろしくお願いします。
      先人の知恵として、薬の偉大さをうたっても、

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