内因性の精神病にカウンセリングは効かない!?

こんにちは!
まつらです!

今日は、某大学の心理相談室へカウンセリングを受けに行ってきました!

医学の世界は十二分にお世話になってきたので、今度は臨床心理学の世界に顔を出したらどうなるか、と思ったのです。

この前、セカンドオピニオンの精神科医には臨床心理学では精神病はどうにもならんと言われたけれどどうなるか…そんなことを思っていたわけです。

正門の守衛室前で待ち合わせました。
スーツを着た、真面目そうな淑女が迎えに来て、丁寧に心理相談室まで連れて行ってくれました、

心理相談室では、本当に毎度お馴染みな、問診票に記入。
家族関係やらなんやらかんやら。

医療機関含め新しいところに来たら毎回これを書くんですよね。
もうわかりましたよって感じで記入。

病院からの紹介状を手渡して、すこし待合室で待ちました。

その間に、アスペルガー症候群のことを題材にした漫画を読みました。
こんなのあるんだなぁという感じで驚きましたね。

夫と、第一子がアスペルガー症候群で、悩む妻の奮闘記ってな感じな漫画。
アスペルガーも大変なんだなぁとふむふむ読んでいたらすぐに時間になり、呼ばれました。

カウンセリングルームに入ると、そこには、箱庭で使うんだろう、人形やら木やらがバーーーット並んだ戸棚があり、向かい合って座れる机と椅子がありました。

50分間話したけれど、結論から言うと。
双極性障害1型は心理相談室ではあまり力になれない、ということでした。

精神疾患には、3パターンがあります。
それは、外因性、内因性、心因性の3パターンです。

外因性は認知症とか、外部からの損傷とかでなるやつ。
心因性は、失恋とか、そーいった心の傷つきでなるやつ。

双極性障害や統合失調症は内因性なんですね。

内因性ってなんぞやってなると思いますが、簡単に言うと「原因不明」なんです。
だから、どの時代にも同じ割合で患者がいる。

よくわたしの障害の話をすると、みんな原因を探そうとします。

お酒を飲んだからじゃないか?

夜更かしをしたからじゃないか?

などなど。

でもそれは、躁になったからそうなったのか、そうなったから躁になったのか、それは不明なのです。

個人的には、躁になったのからお酒飲むし、夜更かしというか寝られなくなるんだと思ってます。

そんな内因性の精神病理には、カウンセリングは効かないのですね…。

でも、アドバイスはくれました!

それは、医療関係者で日々体調を見てくれる人を作ること、でした。
自分では気がつかない予兆を気づいてくれる医療関係者を作ることで、指摘してもらえるというものでした。
確かにそれは良い。

ケースワーカーとか病院にいるから話してみるといいとのことでした。

あとは、病気に対する知識をつけてくれた友人に体調を見てもらうことがいいとのことでした。

病気の知識がない人だと、あれがダメなんじゃないか、これがダメなんじゃないかとか、だからお前はダメなんだとかお説教が始まりかねない。

こちらとしては、躁になって迷惑をかけているわけですから、迎合するしかないのです。

「そーですね、ごめんなさい」と言うしかないのです、だって迷惑かけているという自負はちゃんとあるんですもの。

ぶっちゃけ、それが結構ストレスだったりします。
だって、不必要なことで色々言われてるんですもん。

でもこんなこと、いってる本人には言えないのです。。。
「怒ってくれる」って「褒めてくれる」よりもありがたいことだと思っているからです。

ザ・ジレンマ です。
相手も「なんで私の指摘を聞かないんだ!」ってなって相互にもうダメな感じです…。

だから病気の知識を持ってくれてる友人にチェックしてもらうのが良いというわけです。

知識をもってくれてる、つまり、理解をしてくれてるなのかもしれません。

私には幸いなことに、もう3回も医療保護で入院しただけあって、周りのみんなも病気のことは知っていて、かつ、近くにいてくれる人の中で私の病気を調べて知識をつけてくれた人もいるのです。
ありがたやありがたや。

そーいう方にチェックして貰えば良いのかなと思ってます。

人は、「自立をしろ!」「自分1人で生きれるようになれ!」という人もいます。
でも、僕にはそれは無理みたいです。

恐縮ながら、みんなに見てもらいながら生きていく。
その分、みんなに何か返せれば、と思っています。
まだ全然何も返せていませんが…。

夜は、オーナーから名前だしOKと言われたので出しますが、目白と池袋の間にあるおでん屋さん『まんま』に行ってきました!

『まんま』は私が昔通いまくっていた『LeaD』というダーツバーの姉妹店で、温かいママさんが迎えてくれるお店です。

こーいったお店も、私の障害については知っていてくれて、受け入れてくれています。

なんか、このブログをやる以前から、僕は精神病理解の普及活動を身をもってしてるみたいだなと、今日改めて思いました。

これが僕の使命なのかなぁー。

※写真はおでん、そして、まんま丼です!




1日50円で双極性障害の体験談をシェアします
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5 件のコメント

  • 内因性、調べたら「生まれつき」とか、「先天性」とかって書いてありましたよ。
    私、原因不明っていう言葉、好きじゃないので勝手に調べちゃいました。

    自分が納得いかない言葉、理解不能な言葉、
    何故そんなことが言えるんだろう、、
    そんなことを少しでも思ったら右から左に流しちゃう。
    でも、本当に心からの温かい言葉での励まし、叱責は素直に受け止められればそれでいいのです。

    その方が大切な言葉だけが残るから。

    • 楓さん、コメントありがとうございます!
      実は、初コメントです笑 いただけて嬉しいです。

      内因性、原因不明、納得できないところはありますよね。でも、例えば親の育て方が悪かったからとか、個人の気持ちが生ぬるいから、とかではなく「生まれつき」というところに、救われる側面もあるのかなぁと思ってます。
      ありがたい言葉や、ありがたい叱責は謙虚に受け止めていければいいですよね。

      これからもこのブログをよろしくお願いします!

  • 内因性を「うまれつき」と訳すのは、いかがなものかと思います。Webmasterの言うところの「原因不明」ということであっていると思います。

    一方、「うまれつき」には「先天性」という専門的な用語があります。先天性と内因性は、イコールではありません。それとは違うことをさしているから用語が異なるのです。内因性というのは、外からの原因がまだ見つかっていない、ということも含まれます。
    たとえば、「内因性急性死」という突然死は、原因がわからないのに、具合がわるくなってから24時間以内に死んでしまう事を意味します。このように、内因性は、医学用語として、原因不明の意味を含みます。
    生まれつき、も育て方が悪いも、反対方向をむいているようですが、どちらも偏見的な見方であって、正しくないと思います。

    中枢神経(いわゆる脳みそ)の病気は、脳に感染する微生物もいますし、末梢神経も含めて神経への刺激の学問も、解明できていないことだらけです。必ずしも「うまれつき」といった古い考え方で無理に理解しないほうがいいんです。「うまれつき」という言葉には、偏見が含まれます。その歴史は、長いんです。原因不明だから、わからないから、触れないように、自分たちがかかわらないように、と、それが偏見なんです。でも、病気とは、複雑で、そうではないんです。抗ヘルペスウイルス薬で良くなった長い経過をたどった鬱病(うつびょう)の患者さんもおられるのです。複数のことがからんで病気になることが多いのです。だから、内因性という言葉を使わず「原因は、まだわかっていないんだ」で良いんです。

    まあ、カウンセリングというのは、間違った自分の癖に気がつくこと、だとすれば、その目的の範囲では、効くでしょう。正確には、カウンセリングだけではなく、薬を飲む必要性がとても高い病気、ということでしょう。分類というのは、新しい事がわかると古くなるものです。この分野の言葉の使い方は、自分なりに100%納得できた言葉だけを使用するのがよさそうです。未知の事は、無理に分類せず、未解決のまま「原因不明」良いではないですか。

    • うーぱかさん、コメントありがとうございます。
      専門家のような指摘、ありがとうございます。
      専門家の方なのかな?
      すごく説得力があってわかりやすかったです。
      「原因不明」の良さもまた、あるのかもしれませんね。
      言葉って難しいなって改めて思いました。特にブログのような文字で、筆者と会ったことない人がみるようなものだと、人間性もわからず、間違った言葉を使うことで想いがねじ曲がって伝わっちゃう。
      気をつけないといけませんね。
      でも気をつけすぎると窮屈になっちゃうし…。
      バランスですね。
      これからもブログ、よろしくお願いします!

      • Webmaster様、返事をいただきありがとうございます。そうですね、おっしゃるとおりです。
        ついでに、聞かれたので答えますと、別の分野の病気を専門としていますが、精神疾患の専門家ではありません。一般素人です。病気というものが、歴史の中で時代時代の社会がどうとらえてきたのかに興味があります。当初、暮らしに役立つために決められた分類や対処法は、時間がたつと弊害をもたらしてきます。それを改革する者や新しい事実が覆していく。そんな動的な動きに興味があります。

        たとえば、てんかんという病気は、今では脳の中の神経細胞の電気的な乱れが原因であることがわかっていますし、薬を飲まなくてはならないという事情はありますし、飛行機パイロットになることはできませんが、でも患者さんは病気以外のもろもろの責任を持たされる事は減ってきたと思います。というのは、紀元前の時代、てんかんは、悪霊がついていると考えられ、しかも、誰かが悪事を働いたからだというのが常識でした。今からでは、およそ考えられない、根も葉もないめちゃくちゃな事です。一例をあげるとこんな風です。
        「先生、ものを言わせない悪霊に憑かれたわたしの息子を、あなたのもとに連れて参りました。霊がこの子に取り憑くと、所かまわず、押し倒します。この子は泡をふき、歯ぎしりして、体をこわばらせてしまいます。それで、お弟子たちに霊を追い出してくれるよう頼みましたができませんでした。」(マルコによる福音書9章17ー18節)
        「ラビ(先生)、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。それともこの人の両親ですか。」イエスはお答えになった。「この人が罪を犯したのでもなく、この人の両親が罪を犯したのでもない。むしろ、神のわざがこの人のうえに現れるためである。」(ヨハネによる福音書9章1-3節

        日本にもありますよね、因果応報とかなんとか。でも、どれも間違いです。病気を病気として、罪の問題と切り離し、当時の常識に立ち向かった革命者の話が新約聖書です。

        もっと最近の例では、悪魔祓いオーメンが出てくる映画がありましたが、そこに出てくる悪魔付きと言われた突然、性格が変って攻撃的になったりもする病気が、近年では、神経をつくるNMDA型グルタミン酸受容体という物質に対して、自分で自分の身体の成分に対して抗体を作って敵と見なしてしまうせいだということがわかってきました。何故、その抗体を作ってしまうのかは原因不明です。

        日本でも狐憑きだのなんだの、よくわからない豹変ぶりにおまじないをしていた時代もありました。

        病気は、ただの生物現象です。微生物がかかわることもあれば、かかわらないこともある。
        ハンセン病の方の歴史を振り返れば、旧約聖書の紀元前5000年から、言い換えれば人類になってこのかた、重い皮膚病を持つものといわれてコミュニテイに加わることができなかったかがわかります。でも、今は、抗生物質で治療可能な病気です。わからないから怖がられていた。

        おそらく、今の時代にもまだ残っている、こうした病気への見方は、新しい事実がわかってくることでも変りますし、変って生きやすくなってほしいと思います。精神疾患という分類そのものが大きく変化して、そのような言われ方をしていた時代があったんだ、という風になると良いです。

        と、そんな事を日頃、考えているわけです。長い自己紹介で申し訳ない。

        加えて、精神疾患以外でも、原因さえわからず、どういう病気かということすらわからず、具合が悪いということすら認めてもられない状況で、治療方法も無く、ただ苦しい思いをしている患者が大勢います。こちらも、どうにかなってもらいたいものだと思います。

         

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