躁の時に迷惑をかけた罪悪感

こんにちは!
まつらです!

今日は、この前日記に書いたホームレス小谷さんの本から、気になったところをご紹介しようかなと思います。

それは、小谷さんがフィリピンにボランティアに行った時のこと。

フィリピンはその時、台風のせいで被災者が967万人も出ていてとても大変だったそうです。

だから、小谷さんは、結婚式で余ったお金を持ってボランティアに行くことにしました。

フィリピンは日本よりも治安が悪く、お金もない。被災地では銃声が鳴り響き、瓦礫と死体の山が延々と続いていたそうです。

体育館の中で手術が行われていたりともう、大変な光景が広がっていたとのこと。

そんな中、現地の人々はとにかく笑っていたらしい。

とにかく、とにかく笑っていたんですって。

ある青年が、「自分が落ち込んだ顔をすると、周りの人もそれを見て落ち込むし、それを見て自分もさらに落ち込む。だけど、自分が笑っていると周りも笑うし、それを見て自分もさらに笑える」と言ったそうです。

この話を受け、実は日々頭の隅にある1つの疑問が浮かび上がるのです。

それは・・・。

僕は堂々と笑顔で楽しく過ごしていいのかな?

というものです。

双極性障害の人なら同じ思いがある人もいるはず。

僕は躁の時に、会社、友人、家族にたくさん迷惑をかけてきました。

それは、天災による被害のように完全に仕方がないやつではなくって。

僕が起こしたことなんです。

でも、病気だから、僕であって僕じゃないというもの。

ここが本当に難しい・・・。

身体でいうなら僕が行動し僕が発言して、迷惑をかけている。

でもそれは医学で認められた病気によるものとなっている。

僕は病気のせいだから仕方がなかったんだって、堂々と笑顔にしていていいのでしょうか?

僕はダメな気がしてしまう。

迷惑をかけられた人々は、嫌な思いになるんじゃないのかな、と思ってしまう。

だから、おおっぴろげに堂々と、「ハッピーです!笑顔です!僕はいい人なんですっ!」って言えないですよね。
というか言いたくないですね。

本当に申し訳ないと思う。

でも、謙虚な気持ちを持ちながら、笑顔でいたいと思う。
むしろそうあるべきだと思う。

迷惑をかけてしまった人々も、周りにいる人も、いつまでも精神病で悲しそうにしていられるのも辛いと思う。

すごく簡単にいうと矛盾なんだと思うんです。

笑顔すぎると不快だろうし、笑顔じゃなさすぎると辛いだろうし・・・。
難しいですよね・・・。

僕はきっと、一生、躁の時に迷惑をかけた罪悪感は消えないと思います。

その罪悪感を持ち続けることは、一種の禊のようなものだと思ってます。

その中で、フィリピンの青年が言ったように、笑顔になって周りも笑顔にしていきたい。

それでいつか、周りの迷惑かけちゃった人からも認めてもらえるくらい、みんなを笑顔にできたら、今より心から笑顔になれるんじゃないかなと、そう思うのです。

僕はきっとこういう運命であり使命なんだと思います。

じゃなかったら双極性障害1型なんてなってない。

双極性障害でよかった、なんて死ぬ時に言えていたら、すごいですよね。

どーなるかはわからないけど、がんばってみよう。

※写真はホームレス小谷さんがフィリピンに行った時のもの!この本小谷さんのBASEから送料込みの1200円で買えるからオススメですよ!すぐ読めて面白い!